
ヲシテは母音、父音と呼びうるものから実際に用いられる文字としての子音がつくられている。以下、母音、父音、子音の順にそこに込められたものをご覧いただきたい。
もとからある自身の内なる魂を表している。魂は心のうちに住まう自分自身であるものということができる。すなわち魂は心に働く自己の内なる精神であり、心は魂が働くものに自分であるものを生きる場処である。

自身のうちに働く力としての神を表している。

神と魂とから、この自分というものがつくられている。この自分とは、神と魂の混合物なのである。










ここに示しているものは筆者が仮りに言霊の規則として提案したものであって、読者は自由に、この言霊の海を遊ばれることを望む。
自身がこの世界のうちになにものかに生きられ、この世界が自身のうちをなにものかに生きる処のものについて。
自身がこの世界のうちになにものかに生きられ、この世界が自身のうちをなにものかに生きるものに、あまたのもののうちに自身がなにものかに生きられる処のものについて。
自身がこの世界のうちになにものかに生きられ、この世界が自身のうちをなにものかに生きるものに、あまたのもののうちに自身がなにものかに生きられ、自身のうちをあまたのもののうちになにものかに生きる処のものについて。
自身がこの世界のうちになにものかに生きられ、この世界が自身のうちをなにものかに生きるものに、あまたのもののうちに自身がなにものかに生きられ、自身のうちをあまたのもののうちになにものかに生きるものに、自身のうちにあまたのものがなにものかに生きられる処のものについて。
自身がこの世界のうちになにものかに生きられ、この世界が自身のうちをなにものかに生きるものに、あまたのもののうちに自身がなにものかに生きられ、自身のうちをあまたのもののうちになにものかに生きるものに、自身のうちにあまたのものがなにものかに生きられ、自身のうちをあまたのものがなにものかを生きる処のものについて。
自身がこの世界のうちになにものかに生きられ、この世界が自身のうちをなにものかに生きるものに、あまたのもののうちに自身がなにものかに生きられ、自身のうちをあまたのもののうちになにものかに生きるものに、自身のうちにあまたのものがなにものかに生きられ、自身のうちをあまたのものがなにものかを生きるものに、あまたのもののうちに生きられる処のものに自身がなにものかを生きる処のものについて。
自身がこの世界のうちになにものかに生きられ、この世界が自身のうちをなにものかに生きるものに、あまたのもののうちに自身がなにものかに生きられ、自身のうちをあまたのもののうちになにものかに生きる処のものに、あまたのものが自身のうちになにものかに生きられ、自身のうちをあまたのものがなにものかを生きるものに、あまたのもののうちになにものかに生きられる処のものに自身がなにものかを生き、あまたのもののうちを生きる処のものに自身がなにものかに生きられる処のものについて。